南三陸町でのボランティア活動

2011年7月27日


7月16日に東日本大震災で津波の被害を受けた、宮城県南三陸町に行ってきました。
今回南三陸町を訪問した理由は、震災当初から全国各地から送られてくる個人の方からの物資を震災の被害を受けた方に配っておられる「さかなのみうら」の三浦さんのお手伝いをするためです。

南三陸町は3.11以降、千人を超える町民の方々の安否がわからず、現在も1万人の町民が避難生活を送っている状況です。
震災直後報道で「南三陸町ベイサイド アリーナ」に沢山の物資が集まったものの、あまりにも集中したため、仕分けも配布も困難な状況になり、ものはあっても使えない状況がしばらく続いていました。
被災者でもある三浦さんはそのような状況に心を痛めていたところ、西條剛央さん(後のふんばろう東日本支援プロジェクト代表)と知り合い、西條さんの呼び掛けによって集まった沢山の個人物資をボランティアで行っているスタッフで仕分けし、ある程度細かいニーズに合わせて、避難所や仮設住宅の住民に配布しています。
以前より、私も会社や地域コミュニティに呼びかけを行い、物資を集めて送っておりましたが、実際の状況を見たいと思い、お伺いさせて頂きました。

三浦さんのお宅に向かう途中、本当に沢山の家やビルなどの瓦礫と、かろうじて残った建ビルなどの一部が、広大な土地にぽつん。ぽつん。と残っており、何とも言えない気持ちがこみ上げてきました。

3階建てのたてものの上に乗ってしまった車。津波を間近で見られた方は、海がそのまま瞬間的に陸に移動したと言う。

志津川病院。建物は津波に飲まれたが、屋上に逃げた一部の患者や、病院関係者は難を逃れた。

何も無くなってしまった場所に移動コンビニを出店するセブンイレブン。ATMも用意している。

「さかなのみうら」三浦さんのお店は津波により流されてしまいましたが、ご自宅はベイサイドアリーナのある高台にあり、かろうじて津波の被害を免れていました。しかし、物資をストックしているご自宅の倉庫は、天井まで山積みの物資が入り庭先のテントにまであふれていました。
私が伺った時は東北も梅雨明けし、本格的に暑さが厳しくなり始めた頃で、流れる汗を拭いながらの仕分け作業となりました。
力仕事を想像しておりましたが、殆ど力仕事は無く全国の方から譲っていただいた夏物の衣類の確認、選別、包装などがメインでした。
衣類も、ただ畳んでおいておくよりも包装することによってショッピングの感覚が戻り楽しんで貰えるという、配慮がされていました。事実、衣類配布では、そこだけ切り取れば衣料店のセールと勘違いする程、女性の方に喜んで頂き、持っていった衣料品はほぼ完売となりました。

製品が見やすい様に全て透明な衣装ケースに入れて搬入している。

12時から17時まで衣類の包装作業を行い、17時からはトラックやワゴンなど計5台ほどで仮設住宅を2か所回りました。
仮設住宅に途中、歌津町を通過しましたが、歌津町はまだ南三陸町程片付いておらず、各市町村で復興の進み具合は大きく違う事を実感しました。

左端に見えるのがかつての国道。地盤がさがった為、国道の下まで海になってしまった。

初めに伺った仮設住宅は少々規模が大きく、30家族程が入っている所でした。
混乱を避ける為に、スタッフがお住いの方一人一人に声をかけ、説明を行いました。
「生理用品は60歳以上で、もう子ども作る予定のない方、80歳のおばあちゃんは取らないでくださいね~」というスタッフの声掛けを聞いてちょっと面白いなぁと思いましたが、いたって真面目で、何もない状況が続くと、必要がなくても何かの時の為にと、持って行ってしまう人がいるそうで、必要な時に無くなってしまうのを避けるため声がけをしているとのことでした。
仮設住宅2か所を1時間半ほどかけて回って戻ってきた頃には、本当にクタクタになりましたが、最後に三浦さんからお礼にと、早朝に上ったカツオと銀シャケをたっぷりもらって帰途につきました。
志津川の海も震災前とは行きませんが、徐々に、漁に出る船も増えてきています。しかし、売り先が無いという状況に陥っており、こちらも解決していかなければならない問題だと感じました。

頂いたカツオ。脂がのっていて美味しかった。

最後に、今回ボランティアに参加してみて感じたことは「人やコミュニティを中心にした発想を行わなければならない」と言う事でした。「迷惑ボランティアは嫌だ」とよくお話しをお聞きしますが、迷惑になりたくて行く人はいないと思います。しかし、この人、このコミュニティにとって“何が必要で、自分には何ができるか”これを常に念頭に入れておく事が重要だと思いました。
外側からは非合理的にみえても、そのコミュニティでは当然の事もあるものだと思います。
特に東北の気候は厳しくコミュニティを作る事で冬の寒さや凶作から生き抜いてきた歴史があります。外から参加していく場合、コミュニティの性質や価値観を理解した上で、自分がサポートできる範囲を探すということが絶対的に必要なのだと感じました。


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